今村均 [いまむら ひとし]
第9話「ジャワ攻略」に第16軍司令官として登場
現地住民を苦しめる焼き討ち戦術を拒否し、巧みな謀略戦と現地住民の協力でジャワの攻略に成功する。
<略歴>
1886年6月28日生~1968年10月4日没
宮城県出身
日本陸軍軍人
陸軍大将
陸士19期、陸大27期
勇気・智謀・人徳に優れ、占領地行政でも現地住民の支持を得るべく住民の虐待を避け、寛容な態度で統治を実施した将軍。
| 1907年5月31日 | 陸軍士官学校卒業 |
| 1907年12月 | 陸軍少尉・歩兵第4連隊付 |
| 1910年11月 | 陸軍中尉 |
| 1912年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
| 1915年12月11日 | 陸軍大学を首席卒業 |
| 1916年8月 | 軍務局歩兵課勤務 |
| 1917年5月 | 陸軍大尉・軍務局課員 |
| 1918年4月 | 英国駐在 |
| 1918年10月 | 英国大使館付武官補佐官 |
| 1920年6月 | 英国駐在 |
| 1921年8月 | 参謀本部員 |
| 1922年8月 | 陸軍少佐 |
| 1923年4月 | 兼上原勇作陸軍元帥付副官 |
| 1926年8月 | 陸軍中佐・歩兵第74連隊付 |
| 1927年4月 | インド駐剳武官 |
| 1927年11月 | 軍務局課員 |
| 1930年8月 | 陸軍大佐・軍務局徴募課長 |
| 1931年8月 | 参謀本部課長 |
| 1932年4月 | 歩兵第57連隊長 |
| 1933年8月 | 習志野学校幹事 |
| 1935年3月15日 | 陸軍少将・歩兵第40旅団長 |
| 1936年3月 | 関東軍参謀副長 |
| 1937年8月 | 歩兵学校幹事 |
| 1938年1月27日 | 兵務局長 |
| 1938年3月1日 | 陸軍中将 |
| 1938年11月21日 | 第5師団長 |
| 1940年3月 | 教育総監本部長 |
| 1941年6月28日 | 第23軍司令官 |
| 1941年11月6日 | 第16軍司令官 |
| 1942年2月~3月 | 蘭印作戦を指揮 |
| 1942年3月1日 | ジャワ島に上陸 |
| 1942年11月9日 | 第8方面軍司令官 東部ニューギニア・ソロモン方面の作戦を指揮 |
| 1943年5月1日 | 陸軍大将 |
| 1946年4月 | 戦犯としてラバウル刑務所に収容 |
| 1947年5月 | 豪州軍の裁判で禁固10年の判決 当初は死刑に処すべしとの意見が出されたていたが、良識あるオランダ人や現地住民の証言などにより減刑される |
| 1948年5月 | ジャワ島の刑務所に移送され服役 |
| 1950年3月 | 本人の強い希望によりマヌス島の刑務所で服役 かつての部下と苦難を共にする |
| 1953年8月 | 巣鴨拘置所に移送 |
| 1954年11月 | 釈放 |
